レター・ヘッド  : 湘南台バプテスト教会

今週のレター・ヘッド2015年12月


2015年12月27日(日)  わたしはアルファーでありオメガ
  牧師 坂元 俊郎

  2015年最後の礼拝を迎えました。この一年も様々な労苦がありましたが、共に歩いて下さり心から感謝したいと思います。

1)クリスマスツリー点灯式出演

 今年は初めての試みにも挑戦でした。かねてより地域の方々と共にある教会を祈って来ましたが、今年は湘南台駅改札口前のクリスマスツリー点灯式に参加することができました。次回からはもっときちんと聖歌隊や賛美グループとして参加したいと思っています。今回でどんな感じか良くわかりましたので、来年は皆さんと共に参加したいと思います。地域の大学生や商店街のリーダーの方々と共に良き町造りに貢献しましょう。

2)「戦後」70年を迎えて

 「戦後」と括弧をつけての70年です。沖縄を忘れることがないためです。今年は安倍政権によって「戦争が出来る国作り」「憲法改悪の準備が整いつつある年」と成りました。日本最大の右翼団体「日本会議」を背景とする現政権は右傾化の道を進み続けています。情報の制限、港湾の軍事基地化の法案、メディアの規制強化、教育への介入、集団的自衛権の強化、辺野古の基地建設など大きな動きが止まることはないように見えます。憲法改悪の大きな反対運動も起こりました。聖書は「平和の主」「キリストは私たちの平和」と語り続けます。私たちキリスト者のあり方も問われているように思えます。

3)わたしはアルファーであり、オメガである。

 黙示録の中でイエス様はご自分のことを「始めであり、終わりである」と語っておられます。すべての開始とすべての終わりを行われるのはイエス様であることが語られています。新年を始めるのも主、その年を終わるのも主ご自身なのです。初めと終わりは主の手の中にあると言っても良いと思います。主は歴史の主であり、歴史の終わりの主でもあるのです。このことは私たちに喜びと感謝と賛美を引き起こし、栄光を主に帰せしめる信仰へと私たちを導いて行きます。終わりは主と共に、終わりは主の中で終わるのです。



2015年12月13日(日)  見よ、神の小羊
  牧師 坂元 俊郎

 クリスマスの時期にもう一度イエス・キリストの誕生を心の内に経験したいものです。その為にはキリストの姿を見つめるのです。

1)見よ!(1:29)

 ヨハネは私たちに、「見よ」と呼びかけています。わたしたちはイエス様を見ているでしょうか。いろいろな心配や不安が日常生活で起こって来て、イエス様が見えなかったり、見失ったりしていないでしょうか。忙しい、忙しいと言いつつお祈りも聖書を読むこともしなくなっていないでしょうか。ヨハネは、そのようなキリストを見失いがちな弱い私たちに、もう一度「見よ」と呼びかけています。もう一度神の小羊イエス様を見つめましょう。

2)世の罪を取り除く小羊(1:29)

 イエス様は私たちの「罪を取り除く方」です。私たちはイエス様を見ない罪、人を愛せない罪、傲慢になってしまう罪、人を不用意に軽蔑する罪、姦淫の罪、神を冒涜する罪、祈らない罪、聖書を読まない罪など多くの罪を犯しているのではないでしょうか。皆さんはいかがですか?それとも皆さんは完全な者になっていると自負しておられるでしょうか。それもまた罪と言わねばなりません。聖書はこれらの多くの罪をイエス・キリストは赦し、愛し助けると語っています。またキリストの愛と赦しに従う時に、罪は取り除かれると語っています。罪を主に告白し赦しを受けましょう。

3)聖霊によるバプテスマ(1:33)

 イエス様は聖霊によるバプテスマを授ける方と言われています。この意味はキリストの赦しの愛を受け入れるならば、その時に私たちはキリストの聖霊を受けて、上から、神から、聖霊によって新しくなることを意味しています。聖霊は神の霊であり、キリストの霊です。聖霊は私たちの中に内住する者となり、私たちの生き方までも変えて、喜びで満たし、私たちをイエス・キリストの姿へと成熟させ、変容させて下さる霊です。聖霊は聖霊の実を結ばせ、永遠の命という不滅の命へと私たちを導いて下さるのです。





2015年12月6日(日)  クリスマスの出来事〜神の到来〜
  牧師 坂元 俊郎

 今日からヨハネによる福音書を学びます。ヨハネによる福音書はイエス・キリストをどのような方として書いているでしょうか?

1)「言」としてのキリスト

  ヨハネはイエス・キリストのことを「言」と書いています。その意味は、「言葉の中でも最も大切な言」であり、私たちの生活の中で「中心すべき言」であると書いています。私たち人間は、言葉によって関係を作り、言葉によって思いを伝え、言葉によって人格を作り、言葉によって世界を知ります。神を知るのも言葉によるのです。私たちの生活の中で最も大切なものは「ザ・ことば」であるイエス・キリストなのです。

2)神であるイエス・キリスト

 ヨハネは「言(イエス・キリスト)は神であった。この言(イエス・キリスト)は初めに神と共にあった」と書いています。聖書は、イエス・キリストは「神の本質の完全な現れ」(ヘブ1:3)、「キリストは神の身分(モルフェース:姿・形)である」(フィリ2:6)、「わたしを見た者は父を見た」(ヨハネ14:9)、「父のふところにいる独り子である神」(1:18)などのようにイエス・キリストは神であることを語っています。神であるイエス・キリストは神が万物の創造者であるように「万物の創造者」(1:3)です。

3)命であるイエス・キリスト

 ヨハネは「言(イエス・キリスト)の内に命があった。」(1:4)と書いています。神が創造し、人に命を与えて生きた者としたように、イエス・キリストは命を与える方です。神に恵みと真理が満ちており、それが人を生かすように人に命を吹き込むのです。日本人は命と言えば、肉体的な命、物体としての命、死が到来すると終わってしまう命しか知らず、死んだら終わってします命しか知っていません。しかしイエス・キリストが持ち、彼が与える命は「永遠の命」です。死で終わることのない命を与えます。