レター・ヘッド  : 湘南台バプテスト教会

今週のレター・ヘッド2015年11月


2015年11月29日(日)  バンコクでのクリスマス
  牧師 坂元 俊郎

  3年間タイ宣教師として働かせて頂いた中で、タイ・バンコクでのクリスマスを経験しました。熱い熱いクリスマスです。

1)32度のクリスマス

 タイの気候を紹介するのに「一生夏だ!」と良く言われます。寒い季節もありますが、一生夏です。また「ホット(暑い)、ホッター(より暑い)、 ホッテスト(一番暑い)」しか毎日がないのです。バンコクの12月の平均気温は32度くらいです。体感温度や町の渋滞の中では35度は下りませんし、湿度も高いので、本当に暑いクリスマスを迎えます。東京圏内の12月の平均気温より25〜30度は違うことになります。

2)それでもツリーに、雪が降る

 それでもクリスマスの季節はクリスマスツリーを飾ります。日本と同じように電飾を付けますし、白い綿で雪もクリスマスツリーに飾り付けます。これがまた少し涼しい感じを与えてくれます。北部の山岳地帯では雪が降ることもあるので雪を知らないわけではありません。しかしバンコクの人々に何度も「雪ってどんな感じ?」と尋ねられました。彼らにとって雪はそれほど身近なものではありません。でも大きなショッピングモールや駅などには必ずツリーが飾られます。タイ人は一般的に日本人よりはるかにロマンチックな雰囲気が大好きですから、この時期を楽しんでいるように思えました。

3)数時間かけてプレゼントを運ぶ:暑い日のサンタクロース

 教会のクリスマスはスラムや路上生活者の方々や高齢の方々にプレゼントを持って行く習慣があります。教会員の間だけではなく、貧しい人たちのために教会にプレゼントを持ち寄ります。大きな段ボールの箱に積んで、山の中でも、町の中でも、生活に困っている人々に時には数時間もかけてプレゼントを運んでいきます。神学校でも同じようなことが行われていました。教会の中だけで楽しみがちな日本のクリスマスについて考えさせられました。トラックや乗用車で荷台に乗って風を受けて暑い日にサンタになります。



2015年11月22日(日)  リッチモンドのクリスマス
  牧師 坂元 俊郎

 ヴァージニア州リッチモンドでのクリスマスは豊かな時間を感じさせる時でした。

1)リッチモンド

 リッチモンドには二つの面があります。一つには南北戦争の際の主都であったという歴史があります。リー将軍に率いられた南軍はワシントンDCと対立する町でした。しかしこの町も焼かれてしまい敗北の町となります。もう一つは「奴隷の町」でもあったことです。アフリカから連れて来られた人々は夜の闇にまぎれてこの町に移送されましたし、「奴隷売買」の場所ともなったのです。多くの差別も生んだ所でもあるのです。

2)美しい街路樹と窓際の光

 わたしたちが住んでいた地域は古い白人地区で、中心には大きな通りがありました。紅葉が大変美しく、金色に輝く紅葉を見ることができました。日本の紅葉も美しいですが、あの並木道の紅葉も美しいものです。各家の窓にはクリスマスの明かりが点いて、赤いレンガの家々を照らしていました。日本のように電飾で飾り付けるということはなく、各家庭の内側がほのかに輝くようにしてありました。街灯も暗いので落ち着いた雰囲気です。ゆっくり歩いて鑑賞したほうがぴったりです。わたしたちは11月から12月の寒い中ですが、この光景に心癒されました。

3)教会のクリスマス

  色々な教会のクリスマスを見に行きました。人間ツリーを作って賛美する教会もありました。30名の管弦楽団と100名のほどの聖歌隊が歌うクリスマスもあります。またアフリカンアメリカンの方々のクリスマス、韓国の方々のクリスマス、中世のファッションと音楽のクリスマス劇等もあります。心に残るのはわたしたちが通っていた「ボンエア教会のクリスマス」です。500名程度の小さなクリスマスですが、しっとり落ち着いた賛美や聖歌隊の音楽で質の高いものでした。音楽主事の働きの大切さを実感します。



2015年11月15日(日)  神学部のクリスマス
  牧師 坂元 俊郎

 神学生時代は3年間ありましたが、神学部のクリスマス会は大変楽しい思い出です。

1)寮でのクリスマス会

 神学部の寮は当時福岡市西区干隈(ほしくま)という場所にありました。小さな森の中にあって、静かな場所でした。周りは松林、池、古い宣教師館、女子寮、家族寮、運動場などがありました。寮の前は芝生になっており遊び場としても使えました。寮には寮母さんの森さん一家が住んでおられ、食事のお世話やお風呂の準備などもして下さいました。寮でのクリスマスは寺園先生たちのリコーダー演奏は心に残っています。

2)神学部のクリスマス礼拝

 神学部のクリスマス礼拝は古い神学部の礼拝堂で行われました。暖房もあまり効くこともなく、たいへん寒い礼拝堂でした。神学生のクワイアは練習不足でしたが大変美しいものでした。近隣のバプテスト教会の牧師や信徒の方々も参加して下さいました。メッセージは旧約学の関谷先生、ギリシャ語の中村先生、新約学のカールペッパー先生、教会音楽の古沢先生などが担当して下さり、どの先生もユーモアに富んだメッセージをして下さったことを思い越します。特に思い出に残るのは教会音楽の古沢先生が自宅に招いて下さり、家庭用パイプオルガンで賛美した経験です。

3)忙しい神学生のクリスマス

 神学生は厳しい授業や調査や試験の準備の合間を縫って、各教会での説教、 教会学校の奉仕、青年会などの会活動への参加、講師としての働き、連合の集会での奉仕などいろいろな働きがあり、フル回転しながらクリスマスの時期を迎えます。家族で神学校に入学している方は家族のためにも働く必要がある方もあります。わたしは貧しい神学生でしたので、家庭教師のアルバイトもしていました。神学生たちは休む暇なくクリスマスのメッセージや諸集会の準備してクリスマスを迎えます。





2015年11月8日(日)  青年会時代のクリスマス
  牧師 坂元 俊郎

今年も残り2カ月となりました。最後の2カ月は教会にお誘いしやすい時期です。この大切な時に家族や友人を教会にお誘いしましょう。

1)青年会時代は楽しい

  私は学生になって初めて教会に行きました。当時青年会には約30名ほど が在籍しており、独自の色々な企画を行いました。例えば枕崎伝道所への伝道旅行、阿蘇山での修養会旅行、結婚講座開催、クリスマスダンスパーティー、福岡・天神での久山療育園街頭募金活動、CS青年科での家庭集会、ゴスペルソング集会、教育館建設のための青年会勉強会などを行いました。教会の活動に参加する中で教会のイメージを紡いで行きました。

2)やっぱり「くつやのマルチン」

 当時の牧師・鍋倉 勲師は教会教育に大変熱心でした。また夫人の夏海先生は厳しくも楽しい出会いを与えて下さいました。クリスマスの時には青年会で恒例の「くつやのマルチン」を劇にして演じました。衣装や背景や音楽や台本作成などは楽しい準備の時でした。西南学院や西南女学院などの学生たちも見に来てくれました。40名前後は集まったと思います。私にとって教会形成や伝道や信仰について考え始める機会となりました。また牧師の素晴らしさに感動したり、青年たちとの色々な議論や出会いは私にとって教会の素晴らしさの原点になっています。

3)福岡連合は熱い交わりでした

 福岡連合は教会数も多く近隣教会が多いです。隣りの教会まで車で5分と言う所もあります。西南学院があるので学生も多いです。近隣教会の青年たちとも共同で色々な活動を行いました。西南学院にはシート教授を中心にした「といし会」、超教派のKGK(学生キリスト者会)、チャペルクワイアなどがあって、福岡連合の熱い青年たちと活動を行うことが出来ました。個人的にはシート先生が大好きでしたので、「といし会」で色々学ぶことが出来ました。クリスマスに一緒に多くの人と礼拝したいと祈ります。





2015年11月1日(日)  良いいちじくと悪いいちじく
  牧師 坂元 俊郎

主は籠に入ったいちじくをエレミヤに見せて、バビロン捕囚の意味について語ります。それは意外なものでした。

1)良いちじくと悪いいちじくとは

 良いちじくとはバビロン捕囚となって大国バビロンに引かれて行った人々を指し、悪いいちじくとはエジプトと組んでなおバビロンと戦おうとする ユダに残った人々を指すのです。捕囚になった人々は、ユダに残った人々からは軽蔑され、自国に残ってなお戦うことが勇敢なことだと、一般に言われていたからです。捕虜になるとは敗北を意味するからです。しかし主はバビロンに引かれて行った者が良いいちじくだと言います。

2)苦難を通して神の使命を果たす

 主は捕囚となった者を必ず助け、70年後には第二の出エジプトを実行すると語ります。またユダに残った人々はエジプトと共にバビロンと戦うものの完全な敗北に終わり、エジプトもユダ王国も滅亡してしまうというのです。エレミヤはバビロンにいる人々に手紙を書き、定住して子孫を増やすように励まします。実際に敗北者・敗残者と言われた捕囚の人々は主による解放の経験をし、再びエルサレムを建設する民として導かれていきます。 それらの様子はネヘミヤ記などに記されています。

3)十字架の予兆としての捕囚の経験

 この物語は第二の出エジプトの物語(16:14〜15)と言われ、また 死んだものと言われた者を復活させる神の力の物語でもあります。また捨てられた者を決して見捨てることのないイエスの物語を予感させるものでもあります。死からよみがえり、死んでいるようであるが見よ、生きている、人々には捨てられたが神は復活させた、その十字架のイエス・キリストの物語を予兆させます。バビロン捕囚と言う十字架によって復活が起こるのです。苦しみや痛みを通して神の復活の命に与ることが出来るのです。