レター・ヘッド  : 湘南台バプテスト教会

今週のレター・ヘッド2015年10月


2015年10月25日(日)  老いを共に生きる
  牧師 坂元 俊郎

 本日は堀野先生をお迎えできることを心から感謝致します。研修会でも取り上げる「老いの課題」を書いてみましょう。

1)老いの体

 昨日は川上直之先生の葬儀が行われました。94歳での召天でした。妻のみさを姉を始め家族が、先生を看病され見守って来られた様子を伺いました。 老いていくことは病を得ることでもあります。髪がうすくなる、入れ歯になる、骨が弱くなる、視力や聴力が弱る、記憶力が落ちるなど色々な体の変化を経験します。年齢を重ねるとともに生じるこれらの課題とうまくおりあって行くことが大切です。

2)老いの心理や感情

 上記のように体が弱って行く中で、心理的にも「喪失感」などによって、 気分的にも落ちこんだり、自信がなくなったりする傾向があり、怒りっぽくなることもあります。特に伴侶の死は大きな心理的ストレスとなります。 伴侶を失うことは人生で最も大きな喪失体験と言えるでしょう。 「不安」「寂しさ」「心細さ」などが深くなり、無気力やうつの状態になることもあるかもしれません。周りの家族や親族はこのような深い感情に気付き、安心に満ちた配慮や会話や生活環境を整えるようにしたいものです。

3)心を支える

 テレビで高齢者ホームの職員が入居者の方を叩いている様子が流れました。認知症などの症状があるとは言え、人生を長く生きて来られたことを思い、人間としての尊厳を大切にするべきだと思います。介護する者はいらだつことが多いかもしれませんが、忍耐をもって接すべきと思います。家族の中でさえ効率化やスピードが要求される時代の中で、介護する者が焦りを覚えることが多いかもしれません。しかし老いを共に生きる中で、多くのことに気付かされながら、きれい事では済まされない実態も経験しながら、忍耐深くありたいと思います。



2015年10月18日(日)  神の裁き
  牧師 坂元 俊郎

 バビロン帝国は3回にわたり、南王国ユダを攻撃し、南王国は崩壊してしまいます。歴史の転換点に立ち、エレミヤは神の審判を語ります。

1)帯は腐り、全く役に立たない。(13:7)

 バビロン捕囚は日本の敗戦前後の様子と比べることも出来るでしょう。国は滅びの恐怖に満ちながらも天皇や神風に頼って、敗北は明らかなのに神国日本は滅びることがないと言って、現実を見つめることをせず敗北に至る国全体と似ていると言えるでしょう。南王国ユダはもはや「腐った帯」となり、神の言葉への服従を拒み、心はかたくなとなり、他の神々に従って歩み、「二枚舌の信仰」で、信仰の本質を喪失していたのです。

2)神の裁き(13:13)

 エレミヤを通して神は厳しい裁きを語ります。容赦のない厳しい言葉です。「はなはだしい傲慢を砕く」「住民を酔いで満たす」「打ちつけて砕く」「わたしは惜しまず、ためらわず、憐れまず、彼らを全く滅ぼす」「光を望んでも死の陰とする」等の言葉をエレミヤと神は一体となって語るのです。神は厳しくユダ王国の「すべての住民、王座に着くすべての王、祭司、預言者」を厳しく断罪されます。神の聖を侮る者、神の言葉に高慢になる者、神の言葉を聞くことを軽率にあつかう者は神の心を知ることがないとここには記されています。厳しい神の戒めです。

3)砕かれること

  ユダ王国の滅亡、人々の高慢が砕かれること、神の言葉への不服従が断罪されること、神の厳しい滅びに出会うことは、新しい信仰を形成する大変大切な出来事を含むのです。神は断罪し、罰し、追放することで、再度神の主権と神の創造性を示します。人は人であり神ではないこと、神は創造の神であり、根源的に命の神であることを示すのです。エレミヤ書においては、再創造し、再契約を結ぶ神の言葉はかなり後半にならないと出て来ません。神が神となり、人は被造物となるために、神は罰し、再創造します。



2015年10月11日(日)  虚しさを破る神の言葉
  牧師 坂元 俊郎

 エレミヤ書7章を学びます。この個所は戦時中の日本、敗北後の日本の姿と重なり、とても現代的な意味を持つ個所です。

1)破壊された信仰

 バビロン捕囚に至る中でユダ王国は大変深い傷を負いました。その悲しみ は「哀歌」の中に記されています。城壁は破壊され、祭司は見捨てられ、女性は強姦され、王たちは吊り刑にされ、老人も子どももおとめも若者も剣にかかって殺され、食料や水も手に入れることは出来ず、貧苦を患い、バビロンによる苦役を負い、人々はバビロンへ捕囚となっていきました。ダビデ・ソロモンの時代の繁栄は地に落ち、人々の物笑いとなってしまいました。

2)主の神殿と叫ぶ虚しさ

 ユダの人々は盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、異教の神々に香を焚き、異教の神を礼拝しながら、「主の神殿、主の神殿、主の神殿」と言いながら ヤーウェの礼拝を続けていました。この2枚舌の信仰、真の神を礼拝する心を失った信仰を、エレミヤは厳しく告発し批判したのです。このような信仰は「 救う力を持たない」と明言します。ユダ王国の人々はただ安心のために安易に神を求め、深く自分たちの罪を告白しようとはしなかったのです。エレミヤはこのような安易な信仰を捨てて、罪を悔いてむしろ悲しむようにと勧め、回心の熱心を求めたのです。

3)虚しさを破る神の言葉

 エレミヤが語ったのは「神の言葉を聞け」ということでした。真心をもって主の言葉に服従することでした。 「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道のみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」(7:23)そしてさらに「お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児や寡婦を虐げず、無実の血を流さない。」(7:5 )と言うことでした。神は敗北と虚しさを破り、主の言葉で迫るのです。





2015年10月4日(日)  エレミヤを召す
  牧師 坂元 俊郎

 今月からエレミヤ書を学びます。涙の預言者と言われるエレミヤの生涯を学びつつ、主とエレミヤの関係を体験していきたいと思います。

1)国家滅亡の危機の中での叫び

  エレミヤが生きた時代は南王国ユダが徐々に衰退し、やがて滅亡に至る最悪の時代でした。北王国イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、その悲劇はエレミヤの耳にも届いていたのです。南王国ユダも若い王の即位や暗殺が続き、主礼拝は忘れ去られ、強国バビロンによる占領の陰が覆い広がり 遂に南王国ユダはバビロン捕囚となります。これ以降イスラエルは自らの国家を20世紀なるまで持つことはありませんでした。

2)神の計画の中での召命

 1章の中で主がエレミヤを召す物語が展開されます。20歳前後であったと思われるエレミヤは「自分は若いので語るべき言葉もない」と主に訴えます。しかし主は「わたしが命じることをすべて語れ、あなたの口にわたしの言葉を授ける」と応じます。経験や年齢が大切なことも多いでしょうが、しかし最も大切なことは、主の言葉を求め、主に託された言葉を語ることです。もちろん彼の運命は決して順調ではありませんでした。しかしその苦難を耐えさせたのは、神の言葉だったのです。

3)諸国民、諸王国に対する「権威」を委ねられている

 エレミヤにはまた1つの権威が与えられました。それは「国や王に対する権威」でした。一介の寒村の出身者に過ぎなかったエレミヤは、権威を与えられて神の言葉を語ったのです。ここでの権威とは傲慢に振る舞う権威、人を屈服させる権威、人を一方的に支配する権威ではありません。神の言葉によって成立する、自由や解放、罪の贖いや罪からの自由、弱者の立場に立って仕える自由と言う聖書的な権威、御言葉を語る奉仕と言う権威を言っています。エレミヤはこの権威をもって臆することなく語り続けるのです。