レター・ヘッド  : 湘南台バプテスト教会

今週のレター・ヘッド2015年3月



2015年3月29日(日)  修了式を迎えて
  牧師 坂元 俊郎

 今日は2014年度の最後の礼拝となりました。本日は教会学校の修了式を執り行います。感謝をもってこの一年を終わりたいと思います。

1)課題を生きる教会学校

 教会学校は生活と聖書が結び付く大切な場です。進級、家族の死、職場の労苦、夫婦の課題、お金の問題、友人との関係、結婚や離婚、政治や戦争など色々問題を聖書と結び合わせて、考え、共有し、励まし、支え合い、そして祈り合う場です。キリスト者は日常の課題と聖書の生き方を結び合わせて生きる時に、豊かな実をも結んでいく者です。教会学校の働きは、私たちをより堅実なキリスト者へと成長するのです。

2)成長と静聴の場としての教会学校

 教会学校で地道に祈り、聖書を読み、交わりを続けるなら、人は一歩成長し、成熟していきます。教会が大きくなるとは、数字の問題のみではなく、成熟したキリスト者として、深化していくことをも意味します。そのために教会学校や日々の生活の中で、神の言葉を「静聴すること」を欠かすことはできません。御言葉に聞き入り、神の言葉を聞き、神の語りかけを聞き続けることです。聖書を読み、霊想し、神の言葉に進路を示されて生きることです。この基本を丁寧に生きるのです。

3)生涯教育の場としての教会学校

 人はすべての年齢で神の言葉を聞くことが必要です。胎児の時代には母親も胎児も神の平安の中で生きる、出産は神への喜びの時、幼児の時代は愛される基本を学ぶ、小学生の時代は関係を学び、中高生は大人への新しい成熟を学ぶ、大学生や社会人の時代は自分にとって職業や結婚の意味を知り、働き盛りは自分の有用性を学び、退職や老後においては人生の総括を豊かにするなど、与えられた人生の各段階で主に励まされキリストの愛に支えられて生きることを経験していくのです。教会学校は、「人生の四季」をキリストが美しくして下さる大切な場なのです。




2015年3月22日(日)  地域と伝道〜総会(4)〜
  牧師 坂元 俊郎

  今日は総会を迎えます。私たちの新年度の計画や伝道の方策、予算の決 定を計ります。皆さんとともに地域に根ざした伝道を計ります。

1)地域で:教会が伝道している時間

教会の前の人通りの多い時間は、平日の朝7時〜9時までと夕方3時30分〜夜8時頃までです。礼拝を行う日曜日の午前中は人通りが少ない時間帯の1つです。 教会活動の時間は1カ月で主日礼拝20時間、祈祷会12時間、籐教室と主見の会で36時間、連合などの委員会で18時間位、合計86時間です。半日12時間で30日間として360時間。全体の22%が教会が活動している時間になります。この数字をどう読むでしょうか?

2)地域の課題:実際の対応策を実行できること

 平常伝道について教会が持っているチャンネルは教会学校、主日礼拝、祈祷会、籐教室、シオン人形劇団の5つです。 特別集会が年に2回、イースターやクリスマス会等もあります。伝道のために先ず来て貰うこと、さらに決心すること、バプテスマを受けること、教会員となり奉仕すること、最後にキリスト者として成熟していくことが必要です。これらのすべてにおいて、良きリーダー又は共に歩む信徒の友(伴走者)が必要です。これらの伴走できる人を育てることが急務です。

3)地域の人と共に:伝道のチャンネルと伝道の伴走者

  藤沢市北部に限定された地域で、どんなことが問題になっているか、地域のニーズを知ることは大切です。私が赴任以来マンションの建築が進み、若い世代が教会の近辺に住み始めています。ダイエーは子ども用品売り場を拡充し、保育所が大小含めて3つ増えました。高齢者の一人暮らしは個人的にお世話する機会も増えて来ました。高齢者の独居暮らしは身近に感じます。また心の病を抱えた方々が多いことも実感します。私たちはこのような課題に応えて行く、実践的な対処法や課題に根ざした伝道を展開する必要があるのです。




2014年3月15日(日)  専任スタッフと給与のビジョン〜総会(3)〜
  牧師 坂元 俊郎

 教会の総会が近づきましたが、今日は牧師給について考えてみたいと 思います。私たちのビジョンと給与体系は直結しています。

1)バプテスト教会における牧師という職理解

 バプテスト教会においては、牧師は教会より招聘を受け、教会において信仰告白を行い、連合や連盟の諸教会の代表と共に就任の感謝を共有し、公的な性格を表明して牧師としての任に着きます。教団やカトリックのように「教団」が任命するわけではありません。またその立場はカトリックや教団のように、一度牧師の職に就けば、生涯牧師として認定されることはありません。牧師を退任すれば信徒となります。

2)牧師給与ということ

 バプテスト連盟に属する牧師は、一般の「職業人」に近い仕事であると考えます。一度会社を辞めれば、他の会社に就職するまで無職の人です。再雇用される時に一般職なのか、部長クラスなのか、社長なのかはその人材に寄ります。教会は教会が教会となるために、専門的な学びや技術を持った牧師を招聘するのです。その意味で一般の職業と同じように雇用形態や給与形態を考えるべきなのです。経験年数、扶養家族の人数、年金制度、地域の給与、諸手当等を勘案して決定すべきでしょう。

3)教会の専任スタッフと財政のビジョン

 5年ほど前に連盟は牧師給についての精密な調査を行いました。それによると連盟内の牧師給の格差は、一般社会よりも非常に大きいという調査結果でした。これらの調査により「牧師の連盟基準給」が決定されて、牧師給についての再考や検討がなされています。 私たちの教会は、牧師や教会スタッフについてどのようなビジョンをもっているでしょうか。それは牧師給や教会スタッフの給与についてどのようなビジョンや夢をもっているかと直結しています。教会財政についても、健全なビジョンを掲げて行けるように、働きたいと思います。




2015年3月8日(日)  教会総会を迎える〜総会(2)〜
  牧師 坂元 俊郎

  3月22日に教会の総会を迎えます。バプテスト総会の持ち方は本来どのようなあり方が最も適切でしょうか。 それについて書いてみます。

1)「ロバート議事法」について

 株主総会、組合総会など色々な総会がありますが、どんな総会であっても一般に「議事法」と呼ばれるものがあります。 最もスタンダードなもので有名なものは「ロバート議事法」と呼ばれるものです。多数者の権利、少数者の権利、個人の権利、 不在者の権利などの規定、一事一件の原則、一事不再議の原則、多数決の原則、定足数の原則等を根幹として考えられた議事 手順などを規定したものです。この議事法を簡略化して教会は使用します。

2)ロバート議事法による「議事の公平性」を求めて

 一般に総会についての幾つかの原則があります。会議の内容は公刊等によって公表されるべきこと(議事の公開原則)、 議長は公平平等に議事を審議すること(議長の会議指導の原則)、議員は新旧、性別、貧富、学歴、社会的に地位で差別 されない(議員平等の原則)、会議の成立には一定数の議員の出席を必要する原則(定足数の原則)、会議期間中は同じ議案を 再度取り上げないとする原則(一事不再議の原則)など、基本的な会議のあり方をもって総会を行います。 教会の総会もこれを援用します。

3)ロバート議事法による議事の運営

 議事の運営について幾つかのポイントがロバート議事法には記されています。議事リストにより運営される( 審議の順番は議場が決める)、議長は議員の発言の許可権を持ち、議長の使命により発言が許される(議長の発言許可権)、 いかなる場合でも個人攻撃をしない、質問・意見・動議を区別して発言する、評決に賛成しなくても会議から脱退しなく てもよいなどが大切なポイントです。これらの原則を踏まえつつ、教会らしい議事運営を行う必要があります。わたし たちの教会の総会は、脅迫によって人権を無視することのない会議でありたいと祈ります。




2015年3月1日(日)  教会総会の意味〜総会(1)
  牧師 坂元 俊郎

今月末には教会の総会を迎えます。バプテスト教会は会衆派教会と言われています。その意味と価値を考えてみましょう。

1)会衆派教会を表明する教会

 バプテスト教会は会衆派の教会と言われます。それは信徒一人一人が教会形成の大切なメンバーであるという事です。 信徒が男女や年齢に関係なく皆が1票を持ち、会員が教会の活動の計画や予算の執行などに平等に関わるのです。 まさに「おまかせではなく、主体的に」参加して、 教会形成の運動にかかわっていくのです。 民主的で、現代的な民主的な教会政治の運営を行うのです。あなたの参加が大変大切です。

2)委任状は単なる「欠席通知」や「おまかせ」ではない

 総会では委任状を求めます。委任状を欠席届と同じものと思っておられる方もあるかもしれませんが、欠席通知ではありません。 委任状は本来信徒である自分が参加すべきであるが、止むを得ず参加できないので、議決については委任するという意味なのです。 それは自分も「委任によって議場に参加している」ということの証明なのです。また同時に議決された内容については、 出席した皆さんと同様に、決議内容について責任を持ちつつ、教会形成に励みますという決意を含むものなのです。

3)総会の「公共性」:私物化は出来ない

  私たちの教会は、包括法人である「日本バプテスト連盟」の中にあります。土地や建物は自力で購入しましたが、 名義は連盟のものとなっています。その意味で教会の総会は、「個人ではない、法人」と言う社会性の中にあります。 それは個人が趣味で建てたり、運営したり、伝道したりしているものではないことを示しています。教会の総会は、 その意味で「公共性」を持つことなのです。決して私的な趣味グループで集まって、計画しているものではないのです。 教会員が私物化したり、牧師によって私物化してはならないものなのです。信徒が「公的に行う総会」なのです。