レター・ヘッド  : 湘南台バプテスト教会

今週のレター・ヘッド2015年2月



2015年2月22日(日)  永遠を思いつつ〜スチュワードシップ月間(3)〜
  牧師 坂元 俊郎

 今月は「時」の上手な使い方について、研修を行いました。いかがだったでしょうか。今日は神の時、永遠と時等について書いてみましょう。

1)生まれる時、死ぬ時(コヘレト3:1〜2)

 上記は旧約聖書「コヘレトの書」にある言葉です。すべての事柄に「時」があることを記しています。 この「時」は、神が定められた時であり、神が主権をもって介入して下さる「時」です。 神の御心が行われ、神の恵みが我々に注がれる時なのです。またこの「時」は、我々人間が決めて実行するよりも、深くて神秘的な神の計画が実行される時なのです。それは単なる運命としての「時」ではなく、喜びと栄光が「満ちる」時なのです。

2)永遠と「時」

 聖書はアブラハム、モーセ、ダビデ、イザヤ等を初めとして数えきれないほどの歴史の物語を語ります。これらはこの世の「時」の中で、神の物語が引き起こされているストーリーです。しかし又聖書は、「永遠」についても多くを語ります。永遠の命、永遠の神の栄光、神は永遠に賛美されるべき方、永遠の都などです。人は「歴史と時」の中に生きますが、永遠を思いつつ生きるのです。聖書は、永遠の愛の神は時の中で働き、永遠の喜びと恵みをこの世の時の中で味わわせ、永遠の中でも生きるようにするのです。

3)「時」の中で「永遠の国」に捧げつつ生きる

 キリスト者の人生は、この現実や人それぞれ独自の環境の中で、「永遠の国」を目指しながら生きるものです。「目指して生きる」とは捧げて生きると言っても良いと思います。永遠の喜びを持つキリストと共に生きる人生は、スチュワードシップの原型と言っても良いでしょう。クリスチャンスチュワードシップは、神の国に満ちているキリストの愛と平和、赦しと喜び、輝きと聖、正義と真理に自らを捧げて生きることを意味しているのです。わたしたちは自らを捧げきる時に、スチュワードシップを完成させていくのです。




2014年2月15日(日)  時を主のために〜スチュワードシップ月間(2)〜
  牧師 坂元 俊郎

 本日はスチュワードシップの学びを行います。今回は「時」について学びます。時を主のために用いる大切さについて、書いてみましょう。

1)主日礼拝と「時」

 前回キリスト者にとって、「時」の中心はイエス・キリストであると書きました。その意味でキリスト者にとって、主日礼拝は「時」の中心であるのです。1週間の始まりの中心が礼拝ですが、このことは、私たちの時の始まりはキリストであり、時の終わりもキリストであり、時の途中に生きる者の中心でもあるのです。神の御子キリストに向かって一連の礼拝式文を捧げることは、「時」の中心であるキリストに日々を捧げて生きることを示します。

2)祈祷会と「時」

 祈祷会は「時の中心であるキリスト」の御心を願い求め、静聴し、霊想しつつ「時の中心」に立ち戻る時なのです。祈祷会を大切に出来る人は、キリストの御心に生きることの豊かさと掛け替え無さを、 豊かに体験するのではないでしょうか。時を丁寧に生き、 時をキリストと共に生き、時の中での様々な困難を乗り越え、 打ち勝ち、キリストにある勝利の豊かさをもって生きるためには祈祷会が必要なのではないでしょうか。 与えられた「時」を、御心を求めつつ生きる祈りの人生は、時を喜びに変えるのです。

3)教会学校と「時」

 教会学校は、聖書から福音を聞く、福音を分かち合う、互いの苦しみや困難や痛みを分かち合う等の働きを持ちます。信仰の縦(神との関係)と横(人との関係)を大切にするのです。 信仰の縦と横こそ「時」の課題なのです。私たちは与えられた環境の中で(つまりは時の中で)、 共に試練に立ちつつ生きていますので、この「時」の中で、共に福音を聞き、分かちあって生きるのです。その意味で教会学校もまた私たち人間の社会性を検証する大切な時なのです。「時」の中には、他者と生きる、共に生きる、という主題が神様から与えられているからです。




2015年2月8日(日)  時を用いる〜スチュワードシップ月間(1)〜
  牧師 坂元 俊郎

 2月は湘南台教会ではスチュワードシップ月間として過ごしています。今回は「時のスチュワードシップ」について学びます。

1)時の量(クロノス)と時の質(カイロス)

 昔から「時は金なり」と言われています。時は「金」を産む大切なものであるから、無駄にしてはならないということでしょう。時はかように大切なものです。時は2時〜3時というように量ることが出来ます。 これはクロノスと呼ばれます。また「時」はその質も大事です。どのような質の時間を過ごすかも大切です。時間の質は「カイロス」と呼ばれます。キリスト者の時の質の中心は、イエス様の出来事と言っても良いでしょう。

2)時は神からの「いただきもの」

 上記のいずれの時間にしても、「時」は神様からの頂きものであると思います。キリスト者は神から与えれた時を大切に用いたいものです。いやむしろ、神からの頂き物である時を、神から与かっているのであり、大切に使わせて頂くと言って良いのかもしれません。古人は「充実した一時間は忘却と不注意の数世紀より価値がある」と言ったそうです。 一度しかない有限の時間を大切に無駄にすることなく、主の御用のための時間として用いることが必要です。神からの頂き物を大切に使いましょう。

3)時の質の中心は「キリストの出来事」

 キリスト者にとって「時間の質の中心」は、イエス・キリストです。私たちは、時の質と量を充実させるためには、聖書を読み、祈り、日ごとにキリストにあって生きる事が大切です。主日礼拝を週のセンターにし、祈祷会で半週の点検を行い、自宅での日々のディボーションで一日の初めと終わりを神に感謝する生活を送るのです。この三つは我々の仕事の質や働きや家庭生活の質を磨き上げる最も大切なものです。子や孫や時代の情勢や仕事の内容もどんどん変化して行きます。私たちの感情や思考や対応の 方法も変わって行く中で、御心を求めつつ生きる事が求められています。




2015年2月1日(日)  「赦し」こそ教会の土台
  牧師 坂元 俊郎

今日はルカによる福音書7章から学んでいます。今日は聖書における赦しと言うことについて書いてみたいと思います。

1)「父よ、彼らを赦して下さい。」(ルカ23:34)

 これはイエス様の十字架上での言葉です。赦し、赦されることはイエス様の最後の切なる祈り、願い、希望でありました。人が赦され、赦しに生きることをイエス様はその生涯の目的とされたと言って良いのではないでしょうか。イエス様は私たちの根源的な神からの離反と言う罪を赦すために、その生涯を生きられたのです。このイエス様の赦しの愛をキリスト者は生活の土台とするのです。赦しは福音の根幹なのです。

2)「わたしたちの罪をお赦しください。」(ルカ11:4)

 この祈りは主の祈りの最も大切な一部分です。神に罪の赦しを願う祈りです。信仰生活で最も大切なことは、私たちが自分の罪を主に告白し、神よりの赦しを体験することです。私たちは教会で色々な仕事や働きをします。同時に罪を告白し、赦しを受け愛されている経験、イエス様と人格的に出会う体験は、より本質的な経験です。イエス様の赦しと愛される経験こそが、教会の豊かな交わりを花開かせていくのです。罪の告白と罪の赦しの経験は、信仰の最も深い喜びを我々に与えるのです。

3)「罪の赦しを得させる・・・・宣べ伝えられる」(ルカ24:27)

 イエス様を「赦し」として知る経験は、悔い改めへとつながって行きます。これはまた私たちが伝える福音の内容でもあります。伝道とはイエス様による罪の赦し、イエス様への悔い改め、イエス様とのこの上ない深い愛の経験を宣べ伝えることなのです。罪の赦しは伝道の内実をも決定することなのです。私たちは壮年会、女性会、青年会、教会学校、シオン人形劇団の働きを通して、罪の赦しと神の愛の体験を語り継ぐのです。これこそが教会の本質だからです。教会はイエス様による罪の赦しが経験される時に、初めて宣教の共同体なのです。赦しは教会の土台です。