レター・ヘッド  : 湘南台バプテスト教会

今週のレター・ヘッド2015年1月


2015年1月25日(日)  貧しき者は幸い
  牧師 坂元 俊郎

 今日はルカによる福音書6章から学びます。いったい今日の聖書の個所が語っていることは何なのでしょうか。

1)貧しい者は本当に幸いか?

  貧しい者、飢え渇いている人、泣いている人は本当に幸せでしょうか?理由や状況は色々あると思いますが、苦しんでいる人が幸いなはずもなく、悲しんでいる人や苦しんでいる人がいたら、実際にその人々の状況が改善 されていくことを願い祈り、そのために働くことが当然なのです。現に飢えている人がいる時、「あなたは幸いなのだ」と語る愚かな人間はいないのであり、いたらその人の倫理観や人生観や人格は誤ったものです。

2)神の国はあなたがたのものである

 ここでいう神の国は、悔い改めて入るものではありません。聖なる者しか入ることが赦されない場でもありません。神の完全な支配である神の国は貧しい者にこそ及んでいることを示しています。貧しい者こそが神の愛の対象であることを示します。「貧しさ」は神の愛の啓示される場なのです。経済的な、精神的な、倫理的な、霊的な、政治的な、貧しさは神の愛が根源的に始まる場所なのです。聖書の神はその愛を貧しさから始めるのです。まさに神は「無」から創造(無への愛)を始める方なのです。

3)キリストは富んでいたのに貧しくなられた/根源的な神との近さ

 神の愛の根源的な働きはキリストの十字架の中に示されます。キリストは、天にいることを望まず、人と同じ姿となり貧しくなったのです。この貧しさは、人に捨てられ、人に侮られ、十字架で殺害され、神の喜びなどない、神の不在の、神の喪失の、悲しみと痛みの「貧しさ」でした。しかし、まさにこのような見捨ての世界(悲しみ・飢え・泣き・無の世界)に、神はかかわり、見捨てることなく、新しい復活を引き起こしていかれたのです。十字架の死に至るほどの「貧しさ」を神は見捨てる事がないのです。幸いとは根源的な貧しい者との神の近さを語っているのです。



2015年1月18日(日)  教会修養会を終えて
  牧師 坂元 俊郎

 湘南台教会の3つのビジョンをご存知ですか?暗唱しておられるでしょうか?11日の修養会は3つのビジョンを中心に2時間ほど話し合いました。

1)会堂(含む土地)取得のビジョン

 当教会のビジョンの1つは会堂(含む土地)取得のビジョンです。具体的にどこの土地をどの位の値段で購入するかなどは全く決まっていません。しかし土地と新会堂取得のビジョンを掲げ、新しい伝道の方策を模索し、地域に根ざした伝道を展開したいと願っています。長い道のりなのか、短い道のりなのか、 それは神様の手の中にあるのですが、 神様の時が来たら、いつでも対応できるように祈り、積立金などの準備をしていきたいのです。

2)次世代の養育

  第2のビジョンは次世代の養育です。あなたの次の世代を育てることです。あなたが高校生なら中学生を、大学生なら高校生を、50代なら30代や40代を、70代なら50代や60代を育てるのです。礼拝を通して、教会学校で、会活動で、人形劇団でなど様々な働きを通して、次世代を育てるのです。人を育てる教会教育は、教会の最も大切な働きの1つです。 教会の最も大切な働きは、聖書を教える、世界を教える、次世代を育てるという、教育の働きです。この働きを忍耐深く継続していきたいと思います。

3)新来者や求道者を与えられるように

  第3のビジョンは新来者や求道者が、この地域から起こされるようにと祈り働くことです。地域の方々とつながる為には、色々な方法が考えられますが、今回の修養会でも色々な方策が話されました。 地域の人を知り、地域の方々と出会いつつ、宣教の働きを継続して行きましょう。主はその創造されたすべての人間が、主のもとに立ち帰って来るのを期待し、望んでおられるのですから、その主の祈りを御手伝いしたいと願っているのです。小さくまとまる内輪だけの交わりではなく、新来者や求道者やイエス様を全く知らない方々とも、共に生きる教会でありたいと祈ります。



2015年1月11日(日)  神の言葉の権威〜解放と自由をもたらす喜び〜
  牧師 坂元 俊郎

 今日もルカ福音書から学んでいきます。今日の個所は神の言葉の権威について学んでみたいと思います。

1)権威と言えば

 権威と言う言葉はあまり良い印象を持ちません。「権威的な人だ」と言えば 威圧的で一方的で、強制的な性格の人という感じがします。「権威に服する」と言えば無理やり従いたくもない人に屈辱的にひれ伏さなければならないような感じを持つでしょう。何でも個人が自分から選べるような今の時代に、権威に服すること、従うことは、まったく不自由で迷惑千万な言葉であるように思えるのです。

2)聖書の権威〜自由にする権威〜

 しかし聖書はこれとは逆の権威を私たちに教えます。 それは神の権威でありキリストの権威です。イエス様の使命は「捕らわれている人に解放を」「目の見えない人に視力の回復を」「圧迫されている人を自由にする」「主の恵みの年を告げる(ヨベルの解放の年)を告げる」ことでした。 これらの言葉は、 キリストの権威に従う時、人は全く自由にされ、解放されて行くことを示します。 イエス様の働きは偏見からの解放、強制からの解放、経済的抑圧からの解放、政治的な圧迫からの解放をもたらすものなのです。

3)自由と解放を与えるイエス様の権威(4:28)

 今日の聖書の個所では、イエス様は「穢れた悪霊に取りつかれた人」から「穢れた悪霊を追放」します。キリストは「黙れ、この人から出て行け」と 命じると、悪霊はその人から出て行くのです。 神の言葉は私たちの心や魂や精神に巣くう「悪しき霊」を追放する権威をもつのです。 この事は、キリストが与える「真理の霊」 「励ましや慰めの霊」「清める聖霊」等を受ける時に、人は解放され自由にされることを示しています。 キリストの霊が働く時、 我々人間は、真に自由な生き方をすることが出来るようになるのです。キリストの真理は、我々を自由にし解放する力なのです。





2015年1月4日(日)  主の道を整えよ
  牧師 坂元 俊郎

 新しい年を迎えました。今年も主に示された道を進んで行きたいと思います。今日もルカ福音書3章から、メッセージを受けていきます。

1)命令と服従

 本日の個所には多くの命令形が出て来ます。「整えよ」「まっすぐにせよ」「実を結べ」「考えを起こすな」「分けてやれ」「同じようにせよ」「取り立てるな」「だましとるな」「満足せよ」等がそうです。イエス様はこれらの命令に従うように服従を求めます。 イエス様への服従は、一種の断念を呼び起こします。他のものへの服従を断念し 、イエス様の言葉に集中するのです。「命への道」は、この服従と断念によって成り立ちます。

2)2種類の命令形(意思的決断と継続的な行為)

 「整えよ」「実を結べ」「考えを起こすな」「分けてやれ」「だましとるな」は、ギリシャ語のアオリスト形の命令形です。 これは直ちに決断をし、その言葉を実行すること、 決定的に強い意志で決断してその言葉を実行することを意味します。 さらに「まっすぐにせよ」「同じようにせよ」「「取り立てるな」「満足せよ」は、 現在形の命令形です。それはずっと継続して行い続けること、 繰り返し行うこと、常にそのように行うことを求める命令形です。イエス様は強い決断と継続的な行動を望みます。

3)底辺の人々への配慮

 イエス様は、群衆、徴税人、兵士との問答を繰り返します。第1の問答は、 「下着を一枚も持たない者」への配慮、第2の問答は「規定以上の税金を取りたてるな」、 第3の問答は「金をゆすり取りだまし取るな、給与に満足せよ」と答えます。 これらの答えは3章の冒頭の皇帝、総督、領主などの当時の社会的権威者への批判も含んでいます。社会的な底辺で生きている人々への搾取や不当な税金により、豊かな生活を送っていた政治家や宗教家を批判しつつ、底辺に生きている人々との連帯を命じているのです。イエス様の愛は、弱い人々へと向けられています。