レター・ヘッド  : 湘南台バプテスト教会

今週のレター・ヘッド2014年7月


2014年7月27日(日)  主に出会うプロセス
  牧師 坂元 俊郎

 今日はサラの物語を学んでいきます。アブラハムの妻であるサラは、どのようなプ ロセスで主に出会っていくのでしょうか。そのプロセスを見ます。

1)子供を与えることは、主の創造である

 サラの状況は、もはや子供を産むことが出来ない状況でした。年齢においてもそう でしたし、肉体的にもそうでした。彼女にとって出産による子の創造は根源的に失わ れているような状況でした。創世記17章17節によれば、主が子供を与えると語ると、 アブラハムは失笑します。また18章12節によれば、サラも子供が与えられることを聴 くと、密かに笑ったのです。しかし人が思い出すべきことは、人は神によって創造さ れると言う創造の根源です。

2)根源的な罪を指摘される苦しみと喜び

 18章13節には主の問いかけがあります。「なぜ、サラは笑ったのか。なぜ、年をと った自分に子供が生まれるはずがないと思ったのか」という問いです。神はサラの 罪を指摘し、確認しているように思えます。サラは自分の疑いを確認させられます。 サラはこの神の質問に「恐れ」を持ち、自らの嘘が主によって見透かされたと思った のです。人はこのように、主によって自らの罪を指摘されるという苦難を通して、創 造の深さを知って行くのです。子供が与えられるということは、神の創造だということ に、出会うのです。

3)笑うと言う喜びと痛みの中での主の約束

 アブラハムとサラにイサクが与えられて、宴を開きます。彼らは心からの笑いを経 験したでしょう。ハガルもイシュマエルを与えられて荒野に避難しますが、主と出会い 主をエル・ロイ(顧みる神)と告白し、喜びの笑いを経験しています。サラは子の名を 「笑い(イサク)」と名付け、ハガルはエジプト人で他の神をあがめる国の出身である にも関わらず、その子を「神は聞いている(イシュマエル)」と名付けます。私たちは時 に不信の冷笑を浮かべます。それでもなお神の祝福は貫徹されつつ、喜びの笑いを 主によって与えられつつ生きているのではないでしょうか。冷たい笑いを、心からの 喜びの笑いに変えるのが、主です。



2014年7月20日(日)  主とアブラハムによる信仰
  牧師 坂元 俊郎

 アブラハムの物語は、信仰の深くて基本的なモデルを現しているように思えます。 新約聖書においてもアブラハムは信仰の原型として扱われます。

1)「主の言葉があった」(6):教会は主の語りかけを聴き、応答する

 今日の物語はほとんどが、主が語りアブラハムが応え、主が問いかけアブラハム が応答するという形式で進みます。1,2,7,8,9,18節を見ると、それが良く理解で きます。神は語りかけ、対話をし、人は神の言葉を聞き取り、神の言葉に応答しま す。この対話は信仰の原型を現します。教会とはしゃべる場ではなく、神の言葉を聴 く場です。人はまず沈黙します。神の語りかけこそが教会や信仰の原点なのです。

2)「恐れるな」(1):教会は主に信頼を置く

 主は「恐れるな。」と語ります。主はアブラハムの不安と心配を見通して、そう語る のです。ロトの家族への心配、先住の王たちとの戦争の不安、ソドムの王との関係 の不安、家系が途切れてしまうことへの心配、親族や家族への配慮など、多くの不 安がアブラハムには覆いかぶさっていたと思われます。しかし主は「恐れるな。わた しはあなたの盾である」と語ります。「恐れるな」はハガル、イサク、ヤコブ、ギデオ ン、ザカリヤ、マリアにも語られました。「恐れるな」の言葉は、多くの不安を抱えて生 きる現代の私たちへも、響き渡ります。

3)「煙を吐く炉と松明が通り過ぎる」(17):礼拝と「聖」の領域

 アブラハムは祭壇を作り、捧げ物を捧げます。二つの裂かれた動物の間を煙の吐 く炉と松明が通り過ぎたと、聖書は記しています。捧げ物を裂いて、その間を主御自 身が清め、中間地帯を作り、聖または清められた領域を設定します。この聖なる中 間地帯は礼拝において大変大切です。人はこの中間地帯を深く意識しなければなり ません。神と人の間には一線を引くことが大切です。神は神であり、人は罪人である ことは、秩序付けられねばなりません。この聖なる中間領域に与えられたのが、人 であり神であるイエス・キリストなのです。わたしたちはこの中間領域を特に大切にし たいと思います。



2014年7月13日(日)  さあ、目を上げよ!
  牧師 坂元 俊郎

 今日は創世記13章を学びます。アブラハムとロトはそれぞれ別の地で牧畜を続け られるように土地を選びます。神はアブラハムに更に語りかけます。

1)[再びネゲブ地方へ上った」:定住と移住を繰り返す人々に

 アブラハムの群れは2000名の大所帯でした。彼らはカルデアのウルを出て、ユー フラテス川に沿って北上しハランに着き、さらにカナンの地へ向います。更にエジプト に下り、再び死海の近郊へと移って行きます。定住と移住の繰り返しです。変転極ま りない生活の中で、神はアブラハムやロトに語りかけます。このような遊牧民に、神 は語りかけ、導き、助け、行くき場所を示し続けます。我々の人生も移り変わります が、その中で神の言葉を聴くのです。

2)「さあ、目を上げなさい。」:〈神が示す地〉であることの大切さ

 神は「さあ、目を上げなさい。」とアブラハムに告げます。それは神の約束の世界 に目を向けなさいという意味を含みます。モーセにピスガの山頂からカナンの地を見 せて下さった事柄を思い起こさせます。そこは肥沃であるか砂漠であるか、豊かな 地である乾燥した土地であるかよりも、神が指し示す土地であることが大事なので す。どのような土地であろうと、そこは神が示す地であり、決して苦難がない地では ないのです。試練があっても「神の示す地」なのです。アブラハムは「神と共に生きる 地」に目を上げるのです。

3)契約を結ぶ神:神は〈約束の神〉であることの大切さ

 神様はアブラハムに、「見える限りの土地を与え、あなたの子孫を大地の砂のよう にする」と約束を結びます。聖書の神は人やイスラエルと契約を結ぶ神です。ヤコブ に夢で語り約束を結び(創28章)、エレミヤに約束を語り(エレミヤ33章)、モーセに 約束を語り(申3章)、導き助ける方であることが啓示され続けます。聖書の神は契約 の神、イスラエルの民は契約の民と言われます。教会はこの神の働かれる場であ り、 教会は「契約の民」と呼ぶことも出来ます。 主の晩餐式で「教会の約束」を朗読 しますが、これも英語では、「チャーチカベナント:教会の契約」と呼ばれます。我らは 契約の民です。



2014年7月6日(日)  祝福の源となる召し出し
  牧師 坂元 俊郎

 今日は創世記4章を学んでいきます。アブラハムは神の言葉を聴き、神の言葉に 応答して、新しい旅へと導かれていきます。

1)祝福の源となる(創12:2)

 父テラもカルデアのウルを旅立ちます。その時にアブラハムも一緒でした。彼ら一 族は、住みなれた土地を離れ、ハランへと旅立ちます。父テラが死亡後アブラハム はハランを旅立ちます。この時の神の言葉は「祝福の源となるように」と書かれてい ます。故郷を離れて長い旅路を行く目的は、「祝福の源」となるためでした。苦難が あってのち、祝福が来るのではなく、神の祝福が先行し、その祝福を得ようして様々 な困難を乗り越えて行くのです。大切なことは約束された神の祝福です。祝福の約 束が先にあり、それに合わせて行動します。

2)源になる(創12:2)

 「源になる」とは、アブラハム個人のことではないことを意味しています。つまりアブ ラハムを源として、泉が流れ出ていくように、次の世代にまで祝福が伝わり続け、継 続されて行くことを示します。アブラハムの信仰は大きく広がって行くのです。アブラ ハムはすべての人の信仰の父と言われるようになりますが、彼の信仰は現代の 我々にまで、伝承されて行くのです。信仰のモデルをアブラハムは現して行くので す。私たちの信仰も自分一人のことではありません。私たちは家族や友人に福音が 広がって行く、源になっているでしょうか。

3)神の守りの中で(創12:2〜3):ピエル形によって

 神はアブラハムに約束をします。つまり「大いなる国民にする。祝福する。名を高 める。祝福に入る」と約束します。これらはヘブル語のピエル形で書かれています。 ピエル形とは激しい動きを示す、熱烈な行為を示す時に、使われる動詞の変化形で す。神は必ず、徹底して、熱烈な思いで、絶対的に、間違いなく、アブラハムの日々 と民を守るというのです。絶対的に不動の信仰を持っているのは、人ではなく神ご自 身なのです。アブラハムはこの神の御心を知り、感謝し、導きに従うために、行った 先々で祭壇を築き、礼拝を続けるのです。