レター・ヘッド  : 湘南台バプテスト教会

今週のレター・ヘッド2013年12月



2013年12月 29日(日)  栄光から栄光へ変えられる 〜一年を感謝して〜
  牧師 坂元 俊郎

 本日は今年最後の礼拝となりました。今年の一年は皆さんにとってどんな 一年であったでしょうか。20周年記念の年を感謝をもって終わりたいと思い ます。

1)聖書における「終わり」

 すべての事には終わりがあります。終わりを目指して私たちは生きていま す。いつか終わりが来るので人生は虚しいと考える人もいます。いつか終わ りが来るのだから精一杯生きるという人もいます。聖書は決して人生は虚し く終わることはないことを約束します。むしろ「終わりの時には喜びに満 ち、神の顔を仰ぐことになる」という約束を語ります。行なった努力も無駄 になることはなく、生きて働いたことも決して無駄にならないことを約束し ます。私たちはこれからも試練の海を泳ぎ続けるでしょう。しかし終わりは 神の栄光に覆われるのです。

2)栄光の冠が待っている

 パウロは積極的に「栄光の冠が私を待っている」と語ります。イエスを救 い主と信じる者はその最後に豊かな主の祝福の中にあることを教えていま す。今は試練と苦難の中にあり,神の栄光などは見えないかも知れません。 それはイエス様の十字架の苦難と似て、裏切りや人の罪の深さ、自分の不完 全さに泣いている時であるかも知れません。しかしこの試練を通過すること によって神の栄光を見ることになるのです。十字架の死を通して神の力によ る復活へ至るのです。

3)次世代への託し:平安と信頼をもって神に委ねる

 「終わる」時に心配なのは次の世代への思いです。私たちが終わる時に私 たちは自分が果たし得なかった夢や仕事を託そうとしたり、継承して欲しい と願います。自分の願いや思いは必ず「途上」で必ず終わりますので、次の 世代へ願いを託すのです。この時に私たちは本当に託せるか、本当に継続し てくれるか不安や焦燥や諦めに陥ったりするものです。しかし神にこの様な 不安や焦燥を委ねることができます。神は必ず願いや祈りを次世代で行って 下さり、神の真実は次世代の中でも行われて行くという確信に立つことが出 来ます。世界とキリストの神は必ず正義と真理を行うと信じるのです。神へ の委ねは平安の実を結びます。



2013年12月 22日(日)  愛の氾濫 〜クリスマス〜
  牧師 坂元 俊郎

 今日はクリスマス礼拝を持ちます。イエス様の降誕を共に祝い共に感謝の 礼拝を捧げたいと思います。イエス様の誕生の意味を思い返してみましょう。

1)神の言葉の誕生

 クリスマスはイエス様の誕生を祝う時です。ヨハネによる福音書による とイエス様は「神の言葉」であると言われています。神の言葉はイエス様の 中に存在し、神の言葉はイエス様の行動の中に現れ、神の言葉はイエス様に よって示され、神の言葉はイエス様を通して語られたのです。イエス様は神 と私は一つであると御自身のことを語りました。ユダヤ人にとって又現代の 人々にとってイエス様にのみ神の言葉が宿っているという告白は非難や迫害 や抑圧を生んで行きました。しかし、キリスト者はこの告白を土台として信 仰に生きたのです。

2)神の栄光の誕生

 神の言葉であるイエス様は同時に神の栄光を現していきました。栄光と は永遠の命であり、光であり、罪の救いであり、死と絶望からの解放、抑圧 された世界からの解放を意味します。命と恵と真理と正義のみが満ち溢れて いる神はイエス様の中に示されています。イエス様がこの世に誕生なさった という意味はこの世に神の命が誕生したことを示しています。地はもはや虚 無や嘆きの世界、暗闇の世界ではないのです。闇の中に神の栄光が照り輝い ているのです。

3)神の愛の氾濫

 イエス様の誕生をヨハネ福音書は「恵が満ちあふれた」と書いています。 この「満ち溢れる」という言葉は、「川が氾濫する」というような時に用い られます。つまり「神の愛は川が洪水で氾濫するように」この世に洪水のよ うに押し寄せて来たことを示すのです。神の愛の氾濫です。洪水は大きな害 を及ぼしますが神の愛の氾濫は人を生かし、人を苦しみから救い、人の悲し みを癒し、愛と平和と和解を人間関係の中や神との関係の中にもたらすもの なのです。ヨハネ福音書はイエス様の誕生を「神の満ち溢れる豊かさ」と書 いています。神の正義、命、愛、希望、聖などはイエス様の誕生を通してこ の世に流れ込みました。



2013年12月 15日(日)  主を待つ喜び 〜クリスマス〜
  牧師 坂元 俊郎

 クリスマスの季節を迎えました。今はアドヴェント(待降節)です。イエス 様の誕生を心待ちにする時期です。

1)「何と幸なことか、主を待ち望む人は」(イザヤ30:19)

 聖書は主を待つことは幸いなことだと語ります。単に待つのではなく 「待ち望む」と言う言葉を使っています。希望を持って待つのです。期待 を込めて待つのです。それは主が喜びや励まし、愛や慰め、命や感謝を持っ て私たちに到来して下さるからでしょう。主はそのような方として待つこと が楽しみな方なのです。 同じイザヤ書の中に「主を待ち望むものは新たな る力を得る」という有名な聖句がありますがこれも待ち望む人に希望と勇気 を与えるものです。「主の救いを默して待てば、幸いを得る」(哀歌3:26)と 聖書は嬉しい約束をしています。

2)「義の宿る新しい天と新しい地とを神の約束に従って待ち望む」 (ペテ3:13)

 この言葉は終末を希望を持って待ち望んでいることを記しています。「神の 日の到来を待ち望む」「主イエス・キリストの現れるのを待ち望む」「主イ エスが救い主として来られるのを私たちは待っています」など多くの箇所で 終末の到来を希望と喜びを持って待っていると書かれています。イエス様を 待つことはここでも嬉しい出来事であり、楽しみにして待つべきものである ことがわかります。アドヴェント(主の降誕)を待つことは喜びの事柄なの です。

3)「常にあなたの神を待ち望め」(ホセア12:7)

 待つことは辛いこともあります。待つことは失望や時には待てずに怒りも 起こります。なかなか待っているものが来ないと焦ったりします。しかし主 は必ず喜びと慰めや愛を持って来られるのですから忍耐深く待つことが大切 です。聖書は「常に待ち望め」と勧めています。状況が悪い時に、もう諦め たいと思う時等は私たちは待つことが出来ませんがじっくり待つのは大切な ことではないではないでしょうか。どんな時でも主の到来に期待したいと思 います。 今はクリスマスを静かに待つ時期です。キリスト・イエスは必ず生まれると いう神の約束の中にいるのでが私たちです。静かな待つ喜びが私たちを覆い 尽くす時期なのです。



2013年12月 8日(日)  枠を超える神 〜クリスマス〜
  牧師 坂元 俊郎

 クリスマスの季節を迎えました。みなさんにとって今年のクリスマスはど のような思いで迎えておられるでしょうか?

1)「イエスは神の子、救い主である」という告白

 ヨハネによる福音書を教会学校の各分級で取り上げています。「私を見た ものは神を見たのである」という大胆な告白をイエス様は行います。この告 白は十字架への苦難を招く言葉となりました。なぜなら大工の息子が神と等 しいと語りましたので、人間の子が神の子であると語ることは唯一なる神の 冒涜と見なされたからです。多くの人々はイエス様に躓きましたし、イエス 様を唯一の神を汚す者として裁いたのです。しかしキリストを神の子と告白 することがキリスト教の始まりとなりました。この告白がヨハネ福音書に、 世に対峙して告白していることです。

2)神は外へと向かって出て行く神

 神がキリストの姿をとってこの世に到来されたということは、神ご自身が 高みに鎮座し、神が神ご自身の高みへと人間を高める事とは逆の方向性で す。神ご自身は人への低みへと降られたのです。神は自分の立場に留まるこ となく、外へと低さへと出て行かれ、移動する神なのです。神の高みという 枠に留まることなく、そこから出て行きます。神の枠を保持するのではな く、神は外へ出て行き人間との関係を結ぼうと、ご自分側から行動されるの です。その印が御子の誕生です。

3)新しい人へと結びつこうと出て行く交わり〜教会〜

 地域に開かれた教会とは人が来るのではなく、人へと出て行き、人と結び ついていく教会なのです。教会員自身が他者へと向かって人の罪や弱さを共 に負っていくのです。開かれた教会とはまさに「神の子が世に到来し、私た ちに神ご自身が体を開いて示して下さったこと」なのです。クリスマスはそ の意味で単に教会のものではなく人間全体のものでもあるのです。あなたは 誰に開かれていますか?誰と共に罪や弱さを負うことを思っているでしょう か? キリストが救い主として到来されたように、私たちも人の弱さを負うものと して、クリスマスの時を過ごしたいと思います。クリスマスの喜びとは罪の 救いの到来ですから。



2013年12月 1日(日)  世界バプテスト祈祷週間を迎えて
  牧師 坂元 俊郎

 世界バプテスト祈祷週間を迎える季節になりました。この時期にもう一度 世界宣教について考えてみましょう。

1)イエス様やパウロの視野

 イエス様は「全世界に出て行って福音を述べ伝えなさい」と語っていま す。イエス様の働かれた世界はユダヤの地に限定されてはいますが、その生 き方や視野は神が創造された全世界に向いていたのです。一定の地域に住み ながらその視座は世界に広がっているように思います。また使徒パウロはユ ダヤ人以外の人々へも福音を語っていきました。「異邦人」と呼んだ人々へ キリストの福音を語り継いで行ったのです。福音は一国に留まることなく 様々な問題も含みながら世界中へ広がって行きました。現在ではキリスト教 のない国はない程に広がりました。

2)神の創造された全世界に「福音で」仕える

  「全世界」とは具体的には苦しんでいる人々、傷んでいる自然、絶望的 な社会に生きてる人々です。宣教師や世界宣教を担う人々の現場には傷んだ 人々、破壊された自然、悲しんでいる具体的な人間関係などがあります。こ のような中に福音を告げ、敵対のあるところに和解を、破壊のあるところに 調和を、傷んで苦しんでいる人々のところへ心理的な癒しや医療的な治療が 行われ、平安が与えられるように働くのです。これが宣教の本質です。

3)多様な働き人と連携が必要とされる

 国外で働く宣教師には大切な要素があります。一つはイエス様の愛を知 り、イエス様による癒しや愛を良く心得ていることです。信仰が豊かである ことが大切です。二つ目は実践的な専門性をもつことです。農業支援、漁業 支援、医療支援教育(神学や語学)支援、音楽支援などそれぞれに専門性を持 った人々が必要とされます。最後にこのような外国で働く宣教師たちを支え る支援も大切です。祈ること、財政的な支援活動をすること、現地に行って 現地の様子を知り支援グループに様子を知らせること、国外の支援グループ と共に支援活動を話し合い理解と協力を深めることなどが大切です。私たち の世界祈祷日もその1つです。